小池社長は社員全員に「テリーさん」と呼ばれている人氣社長でした。仕事はスーパーに出来る方ですが、日常生活も大切にされブログも続けていらっしゃるとの事。すばらしい方でした。

 

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ブラザー工業株式会社の公式ホームページのCSR対談の為に「テリーさん」にお逢いしました。テリーさんは大の音楽好き!中でもフォーク大好きという事も あり、嬉しいお話が沢山飛び出しました。アメリカ生活が永く続いた間もニッポンのフォークとイルカの歌を忘れずいつも聞いて下さっていたとの事!嬉しいで すね。
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昨年、名古屋で行われたCOP10コンサートへも奥様と会場にいらして下さったそうで今年11月6日の名古屋での

「~国連生物多様性年の10年~イルカプロデュース「まあるい地球コンサート」2011」 へはもちろん御招待させていただきます。

環境問題にも関心が深く「ブラザーアース」という取り組みを世界中でしていらっしゃいます。こういう企業さんが世界中に沢山ふえると良いですね。IUCNの親善大使としても大変うれしい対談となりました。

対談と来社記念という事で何と「ブラザーのミシン」をいただきました。

何を創ろうか・・・とっても楽しみです。

※対談ページはこちらをご覧ください。

 

 

         
    

博多で行われた「アサヒ緑健Presentsプレミアムコンサート~ささやかなこの人生~」では一曲目に「我が良き友よ」を全員で歌いました。

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「本番では、学ラン着るから女子達も何かセーラー服とか着てほしいなー」と正やんからの恒例ムチャぶりがあり!!そこで、真面目な私は買いに行きました。セーラー服を!ドン・キホーテへ!!

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こんなにスカートが短いとは知らず!!

しかし、けっこう楽しんで着ちゃいました!!

(とってあります!!)

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最後に再び全員集合でわいわいと!!

打ち上げも楽しかったよ!!

左側から

ムッシュかまやつ兄さん、尾崎亜美ちゃん、正やん、後ろにこうせつおいちゃん、そして私、山本潤子ちゃんとミュージシャン大集合!!

         
    
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 インドネシアのバリ島。

その中央にあるバングリにデワアジ翁の大家族は暮らしています。

大家族の訳は、奥様が4人いらしたからです。

子供は35人。そして孫、ひ孫とつながる家族は皆で仲良く暮らしています。たえず、誰かが誰かの家を訪れ、助け合って暮らしています。

(詳しくは私の著書「ここは私の学校」を読んでね)

(私の妹プルナミ宅からは朝日にはえる聖なる御山が・・・。毎朝、拝めます。)

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いつも「私の娘」と言って下さったデワアジ翁。日本の家族も手厚いおもてなしでいつも迎えて下さいました。

「イルカ四十周年パンフレット」には以前インタビューさせていただいた記事を載せたので報告する予定でしが・・・残念でした。しかし締切にギリギリ間に合ったのでデワアジ翁の訃報を載せる事になりました。祭壇に報告すると「デワアジ翁の大切な物と柩に納め一緒に荼毘にふしてもよいですか?」と言って下さったので、きっとデワアジ翁の元に届き喜んで下さった事でしょう。

 (村の僧侶としてあとを継いだ息子のパオさんと。

遺影と共にパンフレットを並べて下さった。)

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私が出逢った頃はまだみーんなやっと小学生だったあばれん坊達も、

みーんないい青年になったでしょ?皆それぞれ将来が楽しみ。

私の左側バユウは島一番の踊り手で日本に来日した時には一曲一緒にレコーディングしました。

ガムランも全てこなします。いつか聞いてね!

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連日、夜にはデワアジ翁の弟子の中から特に選ばれたダランが「影絵芝居ワヤンクリッ」のうでを競い、披露して下さいました。

村人達は大喜びです。

当初は自宅の予定でしたが入りきれず、集会所に。それも無理でお寺の広場で行われました。

私達が向かうと待ちきれない聴衆が山の様に・・・。

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デワアジ翁といつも色々な村に招かれて行ったあの懐かしい空気を想い出しました。

祈りを捧げ、聖水をまき、パッと上半身はだかになり、3時間にも及ぶ物語を語り人形を使い、ガムランの指揮をするデワアジ翁。

その全てがその日の聴衆に合わせての即興で進めて行くのを、私達はいつもその後ろから見守っていました。

終わると再び祈りを捧げ、「どうでしたか?」というように満足げな笑みを浮かべて振り向くあの御姿。

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自宅に着けば深夜。

山盛りのごはんを食べて冗談を言って皆を笑わせ「つかれましたか。早く休みなさい」とやさしい言葉をかけて下さった。


(今も毎日、日本の自宅ではデワアジ翁の御供養をしています。作って下さったワヤンの人形と共に。)

 

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真っ暗な会場に小さな蛍の光がフワフワと飛んで来ました。

「デワアジ、きっと氣になって来てるね!」姉さん達と微笑みました。

(ひ孫たちも大きくなりました。)

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デワアジ翁の奥さま。(たぶん80歳?)

顔を見たらすぐ抱きついて来る本当にかわいらしい方です。

他の奥様は皆亡くなられたので、デワアジ翁を最後にみとられました。

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男性はそろいの「デワアジTシャツ」青年たちのアイディア。良いです。

私も一枚いただきました!

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女性は白のクバヤ(ブラウス)に紫の帯。

家族は皆これで統一。

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私も、もちろん同じ装束で参加。

デワアジ翁の人形やおみこし、ダシが大通りのクルマを全部止めてパレード。

村の一大行事でした。

IMG_2132no2 デワアジ翁の魂が眠る、村のサンサン河に、聖水をいただきに皆で向います。
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自宅に戻ると、「大僧侶」をはじめ、捧納の為の「ワヤンクリッ」「ガムラン隊」。

婦人たちによる御詠歌の様な「祈り歌」。

IMG_2188 そして、弔問に訪れる人々のお供え物で、ギッチリと濃密な時間が流れていました。
IMG_2192 台所で、クッタクッタの姉さんや近所の主婦の皆さんと。
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デワアジ翁は位の高い方なので、山の上で儀式がとり行われました。

デワアジ翁の魂が天に昇って行きます。

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そして、再びサンサン河へ。そして・・・。

デワアジ翁は伝説のダランとなり、私達の守り神となりました。

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これからも私たちは家族。

初めておたずねしたあの時から、異国の私を娘の様に大切にして下さった御恩は決して忘れません。私もデワアジ翁のように全てを愛し包む・・・そんな人になれるよう生きて参ります。 

 

         
    

 

  123456 義援金としての御協力をありがとうございます!

 

このイルカ四十周年記念コンサートパンフレットは「東日本大震災」で

被災された皆様へ全額を復興への義援金としてお届けしたい・・・。その思いで

作りました!!

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あなたが御購入して下さったパンフレットは

 

(一部¥2,000)全額義援金として被災地へお届けします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

心を込めて作りましたよ!

オールカラー全24ページ B4サイズです。

 

現在イルカコンサートツアーでは「東日本大震災」で被災された皆様に向けてコンサートホール内に募金箱を置かせていただいております。

しかし、主催者等の諸事情により募金箱が置けない場合もあり・・・。そこで、このパンフレットを作って御購入していただくという形での皆様からの義援金をお届けする事を考えました。

皆様からお寄せいただいた義援金は国又は地方公共団体、日本赤十字社を通じて

被災地へお届け致します。期日とお届け先に関してはただ今検討中ですので今しばら

くお待ちください。

あなたが御購入して下さった金額は、随時このページで公表して参ります。

どうぞ宜しくお願い致します。

                       

                                                              イルカ                         

         
    

自然写真家 永幡之さんとは昨年名古屋COP10会議中に行われたIUCNのレセプションでお会いしました。 

今回、貴重な写真とご報告を頂いたのでお電話すると「この様な時に、動植物の調査どころでは無い・・と言われるかとも思いましたが、どうしても今こそ調査しておかねばならない!と強く思い、現地に入って調査し写真を撮って来ました。」との事でした。被災地では生き物の事まで手が回らないのが現状でしょう。ですが、永幡さんのこの決断は今後、貴重な資料を生む事となるでしょう。アリの姿から私も大きな勇気を頂きましたよ。永幡さんは又岩手の海岸線の調査に出ています。お気をつけて!生き物やこの地球の為に宜しくお願い致します。以下、永幡さんからの報告です。

 「津波から生き残ったアリのこと」

イルカ様

 名古屋のCOP10の折に、IUCNのパーティーでご挨拶させていただきました、山形県の永幡嘉之と申します。

 悲しみの渦に巻かれた震災から1ヶ月余が経ちました。津波により、実に多くの動植物も、棲家ごと波に消えました。写真家としてよりもむしろ、動植物の調査を長年続けてきた身として、4月に入って地域の状況がある程度落ち着くのを待ち、福島県や宮城県の海岸線の惨状を調べ歩いています。

 例えば、海岸から数キロの大きな湖が津波をかぶり、真水にすんでいた多くのフナが、突然流れ込んだ海水によって犠牲になりました。砂浜に暮らしていた多くの虫たちを何年も調査してきましたが、砂浜そのものが流されて消えました。これらは、あくまでも自然現象の一部です。ただ、過去の大津波と違い、人が生きものの棲家を、ごく狭い場所に細切れにしてしまっていたところを津波が襲い、どこにも安全な場所が残らなかった、あるいは、過去には自然界になかったはずの重油やガソリンが流れた、という点が、過去とは違います。

 それでも、打ちひしがれて歩く中で、思いがけない希望を見ました。津波で1週間以上水没していたはずの海岸線で、土のなかでどのように耐えたのか、暖かくなると同時に2種類のアリが巣を掘り始め、懸命に砂粒を運び出していたのです。ただ、しばらく行動を追っていましたが、3匹が入れ替わり立ち代わり運び出すばかり。本来ならひとつの巣に数十から数百いるはずなのですが、生き残ったものはわずかだったのでしょう。

 こうした調査は、人々の暮らしが平穏を取り戻すまでは、あまり表に出すべきでないと考えています。それでも、波に覆われたはずの場所で、懸命に生活を始めていたアリの、小さな生命から、私自身が再生への大きな希望をもらい、この話をどうしてもお伝えしたく、突然のメールで失礼とは思いつつ一筆させていただきました。

 季節の変わり目、どうぞご自愛ください。

tobiirokeari

懸命に砂を運び出すトビイロケアリ

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津波で死んだクサガメ、

越冬明け間近だったはず

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津波で大量に漂着したフナ、

津波(海水)の塩分に耐えられなかった

永幡之さんご報告ありがとうございました。