最初に大きな地震があった14日から地震が治まらない日々の中で、まだ先が見えず大変な毎日ですね。
亡くなられた方々の御冥福をお祈りしています。
避難所での生活にもかなりの苦痛が伴っている事と思います。
地震後に先ず友人達の安否を心配して連絡した時は、まだ「大丈夫」という答えが返って来ましたが、日を追う毎に治まらない地震による被害が膨らみ、不安と苦痛も増大している厳しい現実に愕然とするばかりです。

今は「大難を小難に抑えられますように」と祈るばかりの毎日です。
このHPは皆さまからのメッセージを受け取れないシステムなので、非常時の伝言板に使って頂く事も叶わず申し訳ないと思っています。
今は何も出来ませんが、今後は少しでも出来る事を見つけて行こう。
と思っています。

「共に生きるこの時を・・・」

         
    
DSC06426.JPG

 

上田市にある「信濃デッサン館」と「無言館」の館主である作家の窪島誠一郎さんから「村山槐多の命日にちなんで毎年行っている公開催事にいらして頂けませんか?」とご丁寧な自筆のお手紙を頂いたのが、二年前の事でした。
その日はすでにコンサートが入っていたので「再来年ならぜひ伺わせて下さい」とお返事をしましたところ「私も年ですから、その時まで元気でしたら、ぜひお願いします」と何度か、お手紙や本のやり取りを繰り返し、今回、やっと実現しました。

DSC06430.JPG

 

実は、どちらの美術館にも、私は2010年に訪れたことがあります。夫が亡くなってから、女子美の友人達が、私を励まそうと誘ってくれた旅での事でした。
夭折の画家達の作品を展示した「信濃デッサン館」、戦争で画家になる夢を絶たれた青年芸術家達の絵を展示した「無言館」共に、大きな感動を頂いた旅でした。

DSC06433.JPG

 

今回は鼎談という事で「あらしのよるに」の作者・きむらゆういち氏と三人で「絵本について」の話をさせて頂きました。「あらしのよるに」は、とても好きなお話でしたので、お会い出来て、又、新作の絵本まで頂き嬉しかった!
サインには主人公のオオカミのガブの絵まで描いて頂き、ビックリ!

DSC06432.JPG

 

鼎談が始まる前には、田中健さんがケーナを吹いて下さり、周りの景色と相まって本当に素晴らしい空気が広がりました。
田中健さんとは、ずいぶん昔、夫のカメ吉君と三人で食事をさせて頂いた事があります。その時も今回も、何と私の為に「なごり雪」を歌って下さったのです。そんな懐かしい話もさせて頂きましたね。

DSC06420.JPG


この日は、女子美の客員教授に私を誘って下さった南嶌宏教授の「お別れ会」が女子美でありました。
私は、上田に来る為に出席出来ず、声のメッセージをお届けしたのですが...。「イルカ先生!今日も良いお仕事されましたね!」と南嶌教授の笑顔が見えるようでした。
その後、村山槐多さんの法要にも出席させて頂き、彼の原画の前で合掌させて頂きました。
窪島さん、ありがとうございました。

南嶌先生に関しては「写真館」を御覧下さい。

         
    
DSC05901.JPG

 

毎年、私の誕生日にはイルカツアースタッフ全員から、素敵なプレゼントが届きます!!
楽屋に入って行くと真っ暗でびっくりしていると...。照明チームの仕込んだライトが照らしたのは、この「楽屋のれん」。
嬉しい!ビックリ!欲しかった!!!と感謝の氣持ちでいっぱいでーす。

DSC05892.JPG

 

ノエルちゃんのケーキまで、ありがとうね~!来年は45周年!一緒にがんばろう、よろしくね~!

         
    
DSC05868.JPG

9月の豪雨で大きな被害を受けた宮城県大和町(たいわちょう)にて、町制60周年を記念した「イルカほのぼのコンサート」がありました。
豪雨のニュースを見て心配が募り、浅野町長さん宛てにお見舞いのお手紙を出したところ「500名が避難しましたが、早い対処で皆無事でした。床上・下浸水の被害が有りましたが、ボランティアの皆さまのお陰で日常を取り戻しつつ頑張っています。是非コンサートで皆さんに元気をお願いします。」とお返事を頂きました。

DSC05865.JPG

当日、私の控室に入ると、手作りの「玄米弁当」と「イルカさんからお見舞いの手紙!」と掲載された河北新聞の切り抜きが置いて有りビックリしました。
まだコンサートどころでは無いかな・・・?と心配していましたが、大勢のお客様にお出で頂きありがとう御座いました。

又、町の合唱団「まほろば少年少女合唱団」「大和コーラス」の皆さんとも一緒に歌う事が出来ました。大変な日常の中で一生懸命練習して下さったのですね!
沢山の拍手をありがとう御座いました。

         
    
DSC05790.JPG 富士河口湖といえば、毎年「イルカ with Friends」コンサートを始め「町うた」制作など、深い御縁を頂いています。
今回は「ヲシテ文字」という物を通じて、縄文・弥生の時代にまで遡る富士河口湖町の歴史文化の凄い再発見となりました。
「ヲシテ文字」とは漢字以前の縄文時代から使われていた日本固有文字と言われています。
(詳しくは調べてみてね)

DSC05794.JPG 「『よみがえる縄文時代イサナギ・イサナミのこころ』(著者:池田満氏)の表紙が富士山です。ヲシテ文字を御存じですか?」と、染めの打ち合わせの際に、藍絽座・風間さんからメールがあったので「富士山といえば河口浅間神社は凄い所ですよ。ホツマツタエは1991年頃はまってました。」と返信すると「12ページに出ています!」という事で、私も早速、本を探して読みました。そして、河口浅間神社の中田宮司さんに御連絡して伺う事になりました。
DSC05791.JPG 河口浅間(あさま)神社へは、町うた制作の際に、浅間神社の祭神「木花開耶姫(このはなさくやひめ)」様の事を歌詞に入れたいのですが、と町の皆さまにお参りに連れて行って頂きました。お許しを頂いてから、私は「木の花の開く頃に」とサビに付け加え歌を完成させました。
それ以来、大好きな場となりました。
今回は境内から浅間古道を更に登る「山宮社」に御案内頂きました。山の神様ですね。
DSC05809.JPG 2012年末に凄い文献が発見されました。「ミカサフミ ワカウタのアヤ」富士山御師(おし)・本庄家に所蔵されていた超貴重なヲシテ文献です。
池田満氏の御本によると「国語の成り立ちの原理や和歌の構成原理など我が国の文化・文明の根幹に関わる内容が記されている。」との事で御座います。「帝京大学元教授、宮崎貞行さんのご判断があればこその展開でした。」とも書かれています。

DSC05814.JPG 中田宮司さんに「本庄家の方にお逢い出来ますか?」とお尋ねして、ご紹介頂きましたのが本庄元直さん。
富士山御師・河口十二坊梅谷二十七代目さんで御座います。
本庄家は、河口浅間神社の神職として約千年続いた事等「甲斐国志」にも記載されているそうです。
「ミカサフミ ワカウタのアヤ」を先祖代々に渡って保存伝来なさって下さいました。
DSC05806.JPG その昔は沢山並んでいた御師宅も、今は本庄家一軒との事です。
超貴重なお話や本庄さんの気さくなお人柄に、すっかり長居させて頂きました。
頂いた「富士山と河口湖とその周辺の伝説」これは民族学者・伊藤堅吉氏がまとめた物に本庄さんが追加した御本です。地図と合わせて読むとたまりません!探検したくなります。
富士山そして富士河口湖町に魅せられていた私ですが、今回の再発見で更に素晴らしさを教えて頂き深く感謝しています。
河口浅間神社は2015年12月に創建1150年を迎えます。機会を作って、是非お参りにいらして下さいね。